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学校紹介

学校紹介

 本校は、飯綱町のほぼ中央、JR信越本線・牟礼駅の東およそ2kmに位置し、東南には矢筒山を見上げ、周囲を田畑に囲まれた静かな環境の中にあります。     

「天地之化育」を校訓とし、「自分をきたえ やりぬく子ども」を学校目標として、児童はもとより教師も共に伸びることを目指して、日々切磋琢磨しています。校長室には、学校の宝物である岩倉具視公の「日章学校」の額が掲げられています

クラス情報

学 級
児  童  数
合 計
1-1
8
12
20
1-2
9
11
20
2-1
7
14
21
2-2
7
13
20
3-1
11
10
21
3-2
11
10
21
4-1
11
10
21
4-2 9 11 20
5-1
10
9
19
5-2
10
8
18
6-1 10 9 19
6-2 9 11 20
児童数
112
128
240
                                                                   平成29年4月6日現在 
 

沿革

2012 さよなら給食室

牟礼東小学校の給食の歩み(歴史)についてお話しします。このことは、この『牟礼村学校誌』という本に詳しく書かれています。
 そもそも、学校で食事を作るということが始まったのは、この学校が牟礼東小学校という名前になる前の、中郷小学校の時、昭和16年くらいのことだそうです。学校で食事を作るといっても、その頃は戦争中で、栄養が十分とれていない子どものために、味噌汁だけを作る、という内容だったようです。今から70年くらい前の話です。 その後、昭和27年、味噌汁など食事を一部補うかたちで、1年中通して給食が行われるようになり、さらに昭和29年、今のようにお昼ご飯をすべて学校で作るという、『完全給食』がスタートしたのだそうです。この学校で完全な給食が始まったのは、今から58年前のことだということです。その頃の給食費は、一人1ヶ月で240円でした。1日10円くらいでしょうか。(今は、1日で低学年は250円、高学年は270円です)味噌や野菜などの材料をもってこれる人は持ってきたんだそうですよ。
 昭和30年、中郷小学校から牟礼東小学校になりましたが、引き続き完全給食はずっと続いてきました。私が小学校へ入学したのが昭和33年ですから、その時にはすでに、学校では給食が作られていました。古い校舎のときです。給食室は、今の給食室と同じくらいの位置にあったのではないかと思います。その時の思い出の一つは、「脱脂粉乳」のことでしょうか。私の小学校の時は、今のように牛乳は出なくて、「脱脂粉乳」というものを飲んでいたんです。粉ミルクのようなものですね。時々どろどろしていて飲みにくいこともありましたが、カルシウムが豊富で、今の体や健康があるのは、脱脂粉乳のお陰かな、と思っています。鯨肉の料理もよく出ましたね。鯨は今ではなかなか捕ることのできないものになっていますが、その時はまだ日本では鯨がよく捕られていて、普通に食べられていたものです。給食では「竜田揚げ」というメニューで出ました。とってもおいしくて、私は大好きでした。なつかしい献立の一つです。
 私は、学校の先生になりましたので、小学校から、今まで、数えてみると、学校給食を41年間食べてきました。私にはあまり人に自慢することがないんですが、一つだけ自慢できることがあります。それは、41年間、一度も給食を残したことがないということです。しかも、さらに自分でもすごいなと思うのは、一度も「まずい」と言ったことがないことです。「まずい」と思ったことがないと言った方がいいかもしれません。ね、すごいでしょ。私の自慢です。
 話が横にそれました。
 今の給食室は、昭和49年(1974年)、昔の校舎から今の校舎に建て替えられたときにできたものです。38年前ということでしょうか。このときから、牟礼東小と西小、両方の給食をいっしょに作る『共同調理場』になり、今に至っています。
 
 さて、この間の閉場式には、今までこの学校で給食を作っていただいた調理員の先生にもおいでいただきましたね。あの時には、十分お話をお聞きすることができませんでしたので、一昨日、仲俣キミコ先生においでいただき、改めてお話をお聞きしました。仲俣先生は、昭和41年から、平成18年まで、実に40年にわたって牟礼東小学校で給食を作ってくださっていました。私が中学生の時にはもうここにおつとめになっていたので、私は仲俣先生の作った給食を食べていた、ということになります。びっくりですね。この学校の給食の歴史を知り尽くしている仲俣先生のお話の一部を、聞いてみてください。
 
 この学校で給食が始まってから、ずっと、給食の先生方は、心を込めて、おいしい給食を食べてもらいたいと祈りながら作ってきてくださったんですね。2月6日の給食を作ってくれている様子の写真です。
 4月からは、この給食室がなくなり、給食を作ってくれている様子は、もう見られなくなりますね。でも、新しい給食調理場でも、同じように一生懸命作っていてくださいます。私たちも心を込めてこれからも給食をいただくようにしたいですね。
 心から、給食室に「ありがとう」と言いたいと思います。
                                                                                                                            (24.2 中村直人)

2013 プールとのお別れ

牟礼東小、プールとのお別れの会

2013/07/26

牟礼東小プールサイドにて〔雨天体育館〕

 

 私たちは、このプールのおかげで、たくさん泳いで、たくさん勉強して、うんと丈夫になりました。6年生は6年間、5年生は5年間、4年生は4年間、3年生は3年間、2年生は2年間、1年生は1年間、それぞれお世話になりました。

 

 このプールができたのは、昭和34年、今から54年前です。当時は循環機械〔水をきれいにする機械)はありませんでした。おそらく水をどんどん入れていたのだと思います。

 その頃、牟礼東小学校の児童は・・・どのくらいだと思います?629人(16クラス)です。1学年が100人以上です。さらに、この頃は牟礼東中学校があって、中学生が332人(8クラス)。

 ですから、合わせると960人、先生たちも入れると、1日で1000人近い人たちがここで泳いで泳力をつけたんですね。

 

 さて、機械がとりつけられたのは、昭和38年、プールができてから4年後です。さらに、その次の年に、小玉の水源地からプールへの引き水工事完成しました。むかしは、わき水ですから、今のように簡単にプールへ入れられなかったから、特別に水をひいてきたんですね。

 

 なぜ、地域の人たちがこんな苦労してプールを作ったり、水を引いてきてくれたかわかりますね。

 私たちは、実際におせわになったこのプールに感謝すると共に、50年以上、ずっと、私たちが水泳の練習ができるように、水泳の勉強ができるように努力してきてくれている地域の人たちにも深く感謝しましょう。

 

                      (2013.7 今井 睦俊)

 

お問い合わせ先

牟礼東小学校

〒389-1214 長野県上水内郡飯綱町黒川1584-1
電話  :026-253-2034
ファクス:026-253-8378
Eメール:higashisho@town.iizuna.nagano.jp