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校章・校歌

校章

牟礼東小学校章

校歌

   校 
         昭和四十三年度六学年児童 作詞
竹 内 邦 光 作曲
 
一  風がわたるよ  緑がいっぱい
        黒土匂い  若草のびる
        ほら みんななかよし
        あかるい 牟礼東小
     二  矢筒の空は 光がいっぱい
        胸ふくらませ 若鳥そだつ
ほら みんなつよいよ
        たのしい 牟礼東小
三  広がる丘に 希望がいっぱい
        あすの世界に われらは進む
ほら みんな呼ぼうよ
    うたおう 牟礼東小

校歌の歴史

 今日は、校歌のお話しをみなさんにしたいと思います。
 私は、この校歌が、いつ、どのようにしてできたのか、今まであまり調べてみませんでした。(スライドナンバー2)今回、校歌について調べてみましたので、みなさんにお話しします。
 
 (スライドナンバー3)これは視聴覚室にある校歌の額ですね。体育館のあそこにもあります。視聴覚室の窓際の上の壁にかかっています。この校歌の額をよく見ると、いつ作ったのか、言葉はだれが作って、曲はだれが作ったかということが書かれているんです。大きくしてみると、こんなふうに書いてあります。(スライドナンバー4)いつ作ったのかは、「昭和43年度制定」って書いてありました。みんなのお父さんやお母さんが生まれたか、これから生まれるか、というくらい前のことですね。だれが作ったのかは、ここに書いてあります。「昭和43年度第6学年児童作詞」と書いてあります。6年生が作ったんだって!曲を作った人はだれかというと、ここに「竹内邦光作曲」って書いてあるんですね。どんなふうにして作られたのか、調べてみました。「昭和43年度」とありますから、「創立百周年記念誌」という本が校長室にあったので見てみました。(スライドナンバー5)この校歌を作ったときの校長先生は、こんな顔をした先生で(スライドナンバー6)、召田利憲という先生でした。記念誌を見ていたら、この召田先生が牟礼東小学校の校長先生をしていたときに作られたんだ、ということが書いてありました。
 
 この記念誌の中で、召田先生は、「思い出」という題で、校歌を作ったときのことを書いています。(スライドナンバー7) 「修学旅行などでバスに乗ると、よくガイドさんから『みなさんの校歌、歌って』と言われるけど、子どもたちは『校歌はないんです』とさびそうに答えていた。その姿を見て、『校歌を作らなきゃいけない』と思い立った」と書かれています。私が小学校の時にも校歌はありませんでした。校歌の代わりとして歌っていた歌は、「中郷村の歌」という歌で、児童館の前の池のところにもう一つ石が立っていて、そこに書かれているのがこの歌ですね。中郷村の歌の話は、また別の機会にしたいと思いますが、そのように、しっかりした校歌はなかったので、召田校長先生が、村中の人たちに、子どもたちが胸をはって歌える歌を作ってほしいといって募集したんですね。そこで、その時の6年生が、「ぼくたちも作ってみたい」といって、詩を作ったんだそうです。そうしたら、たくさん集まった中から、その6年生が作った校歌が、選ばれたんだそうです。その時の先生の指導を受けながら、全員の力で直したりして(推敲したりして)校歌の歌詞が生まれたんですね。当時の6年生が力を合わせて校歌を作ったんだ、すごいね。
 
 曲を作った人はだれかというと、やっぱり召田先生は書いています。「子供を愛し、子どもの心を大事にしてくださる方に作曲してほしい」といって探したら、信州大学教育学部という大学に、竹内邦光先生という若い先生がいたそうです。その先生にお願いして、この曲が生まれたんだね。そして、昭和44年3月11日に、校歌が完成して発表会が開かれた、ということが記念誌を読んでいて分かりました。公民館で出している、当時の公民官報にもそのことが書かれていました。(スライドナンバー8)これは矢澤先生が探してくださったんですが、昭和43年9月30日付の公民官報に「校歌募集」という記事が出ています。「東小学校では開校95周年を記念して、校歌の歌詞を村内一般から募集することになり、ただいま応募受付中です」と書かれています。(スライドナンバー9)44年3月15日の公民官報「むれ」には、「校歌ができる」という記事が載っていました。中味は、「東小校歌できる。作曲は竹内先生、東小学校では、校歌の歌詞を広く村内一般から募集し、多くの応募作品の中から、6年生の児童69名の共同作品に、小柳誠、羽賀一夫の指導を加え、歌詞として決めた。作曲は信州大学教育学部の竹内邦光先生にお願いした」と書かれています。
 
その時に校歌の歌詞を作った6年生が、近くにいないかなと思って探してみました。お話を聞けるといいなと思ってみたら、こういう方がおられました。(スライドナンバー10)一人は、東黒川の良松寺というお寺の奥さんになっている、倉島いく子さんです。お話を聞いたらこんなことをおっしゃっていました。「担任の羽賀先生、小柳先生にご指導いただいて、みんなで力を合わせて作ったように思います。明るく。元気な校歌ができたとうれしかったです」と言ってくださいました。
 
 もう一人は、羽田澄子さんという方です。栄町の方で、今柏原小学校で保健室の先生をしています。この羽田先生にもお話しをお聞きしました。「校歌ができあがって、発表会をしたことを覚えています。ステージで校長先生から、何か記念品のようなものをいただいたように思います」とおっしゃっていました。「その時の写真、ないですか」とお聞きしたら、探してくださって、こんな写真をお借りできました。(スライドナンバー11)昭和44年3月11日の校歌発表会の写真ですね。賞状のようなものを受け取っている人が羽田澄子さんだそうです。ステージには「校歌発表会」と書かれていますし、壁の所には校歌の歌詞がはってありますね。「今でも思い出に残っています」というお二人からのお話でした。
 
さて、作曲をしてくれた竹内邦光先生のことです。(スライドナンバー12)私は、竹内邦光先生にも電話でお話をお聞きすることができました。今埼玉県に住んでいて、時々長野の音楽教室に、音楽を教えに来られるんだそうですが、ただ、しばらくは長野へ行く機会がないというので、電話でお話をしました。そうしたら、こんなことをおっしゃっていました。「私が初めて作った校歌です。27歳の時に作りました。40年以上も前にしてはとっても新しい感じの、いい校歌ができたと思っています。校歌の発表会の日は、たくさん雪の降った日でした。いっしょに連れてきた学生が、それぞれ持ってきた楽器を使って、一緒に演奏してくれました。校歌というのは、その時だけ歌うというものではありません。何年たっても歌い継がれるものだと思います。心の中に生き続ける校歌を作りたいと思って作りました。」とおっしゃっていました。この校歌は、みなさんの心の中にもきっと、ずうっと生き続けるでしょうね。
 
(スライドナンバー13)先程の石に書かれているこの校歌の碑は、昭和55年、校歌ができてから10年ちょっとたった頃に作られたそうです。(スライドナンバー14)視聴覚室にある校歌の額は、小出聖水という先生が書かれたそうですが、この小出先生は、私が高校のときに習字を教えていただいた先生なんですね。何かつながりがあるなあと思っています。
 
 (スライドナンバー15)これは今日の矢筒山の空です。どうですか、朝日が差して、真っ青な青い空でした。本当に、「矢筒の空は光がいっぱい」という感じでした。みなさんもあとで矢筒山の空を見てください。いつも光をいっぱい浴びた矢筒山は、私たちを見守ってくれています。これからもこの校歌にあるように、みんな仲良く、明るく、強く、希望がいっぱいの私たちであるように頑張っていきましょう。6年生は、中学へ進んでも、この校歌を時々思い出してくれるとうれしいなあ、と思っています。
 
                                   (23.2. 中村直人)
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