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ホーム読む移住者インタビュー⻑野県飯綱町で「安定」を得た〜⻑野県飯綱町での働き方・暮らし方〜
⻑野県飯綱町で「安定」を得た〜⻑野県飯綱町での働き方・暮らし方〜

飯綱町は、長野県の北部に位置し、長野市市街地から車で30分ほどのところに位置しています。
町の人口は約1万人、豊かな自然とたくさんの農産物があり、特に50以上の品種が育つりんごの名産地として知られています。
この飯綱町で6月から仕事を始めたのが、現在40歳でプログラマーの小林孝裕さんです。
現在は奥様とお子さんは東京在住、小林さんは須坂在住で単身赴任ですが、いずれは飯綱町に家族移住を考えています。
東京育ちだからこそ分かった飯綱町についてインタビューしました。

【小林孝裕さんプロフィール】
1980年東京生まれ。
大学卒業後はIT企業などで働き、その後フリーランスのプログラマとして活躍。
2020年6月に凸版印刷への入社を機に飯綱町での単身赴任生活がスタートし、凸版印刷の「ICT KŌBŌ」に勤務している。
人との繋がりや豊かな自然に魅力を感じ、ゆくゆくは飯綱町への移住を考えながら、第二の故郷として自分の周りの多くの人に飯綱町の魅力を知って欲しいと思っている。
奥様と共働きで3歳女児の父。

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地方への移住が視野に入ったのは東京で疲弊している自分に気づいたから 〜フリーランスをやめる決意〜

―――フリーランスをやめたきっかけを教えてください

40歳に近づいてキャリアの見直しを図ったのですが、当たり前ですがフリーランスは安定感がなく、仕事の獲得から実務まで自分でこなさないと稼げないのが現状です。
楽しいと思える時期もあったのですが、次第に疲弊していく自分に気づきました。
東京は情報のスピードや技術のトレンドの流れが早く、腰を据えて本質的な課題解決に取り組むことができないような気がして、プログラマとして地方での活躍の場、一次産業の融合や地域活性化への貢献できる道があるのでは?と考え始めました。
その頃に凸版印刷の方から入社の誘いを受けました。

―――地方で暮らすことが決め手になったのですね?

このまま東京で働くのであれば断るつもりだったのですが、飯綱町で働けるのであれば面白いんじゃないかなと思い入社を決めました。
一方で、不安もありました。家族がいるので、収入の面や本当に東京を離れていいのか?など迷ったのは事実です。

―――ご家族も賛成してくれたんですか?

自分自身も迷いがある中、背中を押してくれたのは妻でした。
「あの部長さんならついていってもいいんじゃないの?」と言ったんです。
実は、凸版印刷の部長がわざわざ家族に会いに来てくれて一緒に食事してくれたんですよ。
そこで仕事も続けながら一人で子育てもしないといけない妻の不安を解決する方法も提案してくれたので、単身赴任も賛成してくれました。

周りの生活音が聞こえない環境で暮らす贅沢 〜飯綱町で生活がリセット〜

―――飯綱町で仕事を始めて一番良かった点を教えてください

夜型から朝型になりました。
一戸建てを借りて暮らしているのですが、周りの生活音が聞こえないんです。
東京では集合住宅に住んでいたので、周りの生活音で時間を認識できたんですが、音が聞こえないので自然の力、朝日や空の明るさで判断できるようになって、野生の勘というか五感が研ぎ澄まされてきました。
必然的に早起きになって、東京では9時半〜10時出社でしたが、朝7時〜8時には職場にいます。

―――環境に満足していますか?

飯綱町で働きはじめてから色々なものがリセットされました。
バイクで通勤していますが、空気が澄んでいて山に囲まれた景色で今まで眠っていた自分の中の何かが呼び起こされるような気がします。
山登りが好きで八ヶ岳や北アルプスには何度か登ったこともあるので、素直に「いい所に来たなぁ〜」と毎日感じられるんです。

―――単身赴任ですが、規則正しい生活ができるようになったのですね?

はい、朝ごはんを食べるようになりました。
人間本来の生活リズムを取り戻しつつあるような気がしています。 都会で少し行き詰った感があったら短期出張してきたらいいと本気で思います(笑)

安定を得るには人と繋がること、技術を磨くこと 〜飯綱町で気がついたこと〜

―――田舎の不便さは感じないですか?

確かに不便なことは多いです。
最初は戸惑いました。
単身赴任なので特に、冷蔵庫の在庫も確認したり、交通機関の時間なども先を見越して動くことが増えました。
ただ逆に、この不便さは当たり前で、東京ではそれすらもしていなかったんだなと思います。
今は常に今日だけでなく今週の生活をイメージして動いているので、自然にセルフマネージメント能力が身についていると思います。
なので、お酒を飲むのは用事が済んでいるか確認してからにしています(笑)

―――東京から離れて仕事上の支障はありますか? 飯綱町は長野市から近く、新幹線を使えば1時間半ぐらいで東京に行けるので、展示会にも楽に行けます。

情報収集はSNSで行っています。
例えば展示会で知り合った業界の方の投稿をフォローしてある程度の情報は集まってきますし、もちろん表面に出ない情報を集める努力は必要ですが、それは東京にいても変わらないので飯綱町にいるから支障があるということはないです。

―――今後の人生設計を教えてください

最終的には家族で移住ができると嬉しいですが、孫の世話を楽しんでいる両親のことや妻の仕事を考えると今は現実的ではないので、徐々に良さをわかってもらって、両親も含めてみんなで移住できたらいいと思っています。
東京の方が通常時は仕事も遊びも選択肢が多いとは思いますが、様々な影響を受けやすくインフラは弱いのを経験しています。
私は安定した「衣食住」を求めているので、スーパーで長野県産の野菜が並んでいるのを見るとホッとします。妻も買い物につれていったら感動していましたね。
父親として家族を養うには「一個人として人と深く繋がること」「そのために常に技術者としても腕や感性を磨くこと」が大事だと思っていて、私はそれをひたむきに頑張るだけです。
飯綱町はそれを心地よく実践できる全てが整っていると思います。
娘が東京で10年成長していくか、それとも10年自然豊かな土地で成長するのか?
私はこちらで成長した方が様々な面で逞しくなると感じています。

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