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冨高俊一さん「赤塩焼の復活を目指して6年。夢は赤塩焼作家として生きていくこと」

「飯綱町に来たら、夜空ってこんなに暗いんだと感じたんです。大阪府の大阪市出身なんですけど、大阪の街中では、街灯の影響で真夜中でも空は紫色に見えるんですよ」

学生時代から陶芸を学び、陶芸を仕事にしたかったという冨高俊一さん(35)は、江戸時代後期に飯綱町赤塩で作られていた、幻の「赤塩焼」を復活させるミッションに惹かれて地域おこし協力隊に応募、2016年に飯綱町にやってきました。

※地域おこし協力隊は、都市地域から過疎地域等の条件不利地域に住民票を異動し、地域ブランドや地場産品の開発・販売・PR等の地域おこし支援や、農林水産業への従事、住民支援などの「地域協力活動」を行いながら、その地域への定住・定着を図る総務省の取り組みです。

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かつて赤塩焼が作られていた赤塩地区は、飯綱町の北東部に位置します。

地域おこし協力隊の受け入れにあたって、町役場で赤塩地区に住居を探してくれたものの、なかなか空き物件が見つからず、牟礼駅近くの栄町にある住宅に住むことになりました。

「インドア派なので、工房以外はあまり出歩きませんでした」とシャイな冨高さんですが、ご近所付き合いで雪かきを手伝ったりしたそうです。工房は、旧赤塩保育園の建物を使わせてもらい、協力隊の任期を終えた現在も、引き続き赤塩焼の陶芸家として飯綱町に残り、創作活動をしています。自身の作品は、オリジナルブランド「tommy’s beto studio」として売り出していくのだとか。

「beto(べと)はこっちの方言で、土とか泥の意味。べとで陶芸家になるという思いも込めて名付けました」

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赤塩焼の陶芸家なのだから、できれば赤塩地区のあたりに住みたいと思っていた冨高さん。今年になって上赤塩地区に、家を貸してくれるという人が見つかりました。物件は、築100年以上とおぼしき8LDKの大きな古民家。老朽化が激しいため、あとから増築された家屋の2部屋のみを使っているそうです。

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「大きな家なので、改装すれば1階に工房を持ってくることもできるし、アーティスト・イン・レジデンスにしていろんな芸術家に来てもらうこともできるかな」と夢は広がります。しかし、今のところ工房にこもって作品づくりをする時間が多くて、家は帰って寝るだけの場所になっているそう。町内の小学校では赤塩焼を学ぶ授業があり、冨高さんが講師として子どもたちに陶芸を教えていたので、出会った人に声をかけてもらうこともあるのだとか。

ちなみに、ご近所さんの苗字は総じて「大川さん」。同じ苗字の親戚が集まって家を構えており、お互いをファーストネームで呼び合うのは飯綱町あるあるです。

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飯綱町に暮らして6年目の2022年4月から、冨高さんは「陶工房 赤塩」として起業しました。

「6年の間にはいろいろあったけど、今年になって、これまでと自分が変わったな、と感じています。工房を本格的に稼働し始めたのは、この7月からなんですけど、気持ちの面でもスイッチが入りました」。

今年7月から工房で一緒に活動しているという高木しず花さんは、陶芸仲間。通称「窯メイト」です。この日は、高木さんが真剣な表情でろくろを回してイベントに出品するための大ぶりの鉢を作っていました。

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「赤塩焼に使う粘土は水分を吸収しやすいので、水を付けながらろくろを回していくと、だんだん粘土が柔らかくだれてしまって、大きな作品ほど難しくなるんです」と高木さん。

協力隊当時はずっと一人で作業していたので、忙しいときや何か相談したいときも、話す相手がおらず、「正直しんどかった」と冨高さん。陶芸を学んできた高木さんを紹介され、「お互いに張り合いになるし、アイデアとかも相談できるし、仲間がいるっていいなと思っています」(冨高さん)。陶芸の技法の中でも、得意分野が異なるというお二人は、刺激しあいながら日々創作を続けているそうです。

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「目標は陶芸で飯を食うこと」。現在、冨高さんは、作品の販売や陶芸教室の運営をしながら、いいづなコネクトEASTの受付の仕事もしています。いいづなコネクトEASTの2階にあるツクリバ(※)で行われている事業相談も活用して、自分の夢を現実にするべく切磋琢磨しています。まさに赤塩焼の土を捏ねながら、作品を売り出すブランド戦略も力いっぱい捏ねているところです。
※ツクリバとは、仕事づくりの拠点である「いいづなコネクトEAST」にある、コワーキング・コミュニティスペース・ミーティングルームの総称。作業内容によって部屋を使い分けられるほか、事業を始めたい人が相談できたり、仲間を募集したり、イベントを開催したりできる場所として活用されています。

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移住してからこれまでの6年間は順風満帆とはいかず、何度か挫折しそうになったこともあるといいます。

「初めは陶芸をするための設備も場所もなくて、駐車場にビニールシートを敷いて作業していました」

現在の工房である当時の赤塩保育園が閉園となり、工房として使わせてもらえるようになってからも、設備をそろえるのに一苦労します。

赤東区の方々が応援してくれ、「赤塩焼復活プロジェクト」として長野県の「平成29年度地域発元気づくり支援金事業」に応募したことで、なんとか電気窯などを揃えることができたそうです。助成金などを活用しながら、陶器を焼く準備が整ったのは、地域おこし協力隊の最終任期である3年目のことでした。

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「やっとこれからというときに任期が終わってしまったので、赤塩焼を活用した地域活動を続けるために集落支援員として雇用してもらえることになったんです」。

集落支援員の3年間は、コロナ禍に悩まされながらも、いいづなコネクトEASTの入り口正面と役場新庁舎の廊下の壁に、カラフルな赤塩焼タイルの作品を制作しました。自分で型を作り、協力してくれた仲間とともに焼き上げたタイルの枚数は、なんと約1万枚! 「来る日も来る日もタイルを焼き続けたので、もうタイルはおなかいっぱいってなりました(笑)」

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いいづなコネクトEASTの暖色系のタイルは、地元の子どもたちと親御さん、協力してくれる人たちと制作しました。

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役場の寒色系のタイルは、三水小・牟礼小の子どもたちと一緒に制作しました。

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そして、個人事業主として起業した2022年は、「飯綱町創業支援補助金」を活用し、灯油窯を購入しました。

「灯油窯は、電気窯と違って炎を使うので窯の中の酸素がなくなります。織部の釉薬の場合、灯油窯で焼くと銅色に、電気窯では緑色にといった具合に、酸素の有無で色の出方も違ってくるので、両方そろえたいと思っていました」(冨高さん)

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新潟県上越市の無印良品 直江津店で先日開催された飯綱町を特集するイベントに出展した際は、オリジナルマグカップを販売しながら、その場で陶芸体験会も実施。飯綱町の特産品であるりんご(はねだしのりんごを使用)を型にして器を作ってもらいました。一般的には、作品が焼きあがったらお客さんに送付しますが、「送るだけではつまらないな」と、作品を受け取りがてら飯綱町まで来てもらえれば、りんご狩りも楽しめるという交流型を企画しました。「ちょうど町内でイベントもあったので皆さんとても喜んでくれました。こういった企画で、飯綱町に来たことがない人に足を運んでもらう機会を作って、地域が盛り上がればいいですよね」

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無印良品 直江津で展示販売と陶芸体験を実施

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りんごを型にして器をつくれば、世界にひとつだけの作品に

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土のべとと英語のbe toをかけてネーミングした「tommy’s beto studio」
 

最後に、飯綱町で好きな場所はどこかとうかがうと、

「一番好きな場所はここ。ほとんどの時間をこの工房で過ごしています。前の庭から夜空を見上げたら、天の川がきれいに見えたことがあって、天の川って本当にあるんだって感動したんですよ」と冨高さん。

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相談できる仲間、同じ目標に向かう仲間を得て、パワーアップした冨高さん。「起業してから毎日とても楽しいです」とまっすぐに語る笑顔が印象的でした。

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