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小松剛之さん・愛実さん「自分が設計した建物の近くにいられる場所に住みたい」。町を出て戻ってきたからわかる長野の魅力

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「広い世界を知りたくて飛び出したけれど、漠然と、いつか長野へ帰るだろうなと思っていました」

建築家の小松剛之(よしゆき)さん(35)は、飯綱町黒川地区の出身です。大学で建築を学び東京の設計事務所に10年間勤めたあと、2022年に長野県にUターンしてきました。

現在は、長野市三輪に奥さまとお子さんの3人で暮らし、週末は孫の顔を見せにご実家へ通っているそうです。

 

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剛之さんは地元に貢献したいとの想いから、Uターンした年の9月に開催された「いいづな若者会議」(町内のフィールドワークや参加者とのディスカッションを通じて飯綱町を自分ごとにし、町のこれからを考えるという企画)に参加。

「飯綱からいったん外に出て戻ってきたので、参加者のなかで僕の立ち位置は、地元民と移住者の間に入るような、つなぎ役の役割でした」という剛之さん。

町のこれからを考える作業は、設計の一部だなと感じたそうです。「いいづなコネクトEAST内にある泉が丘喫茶室というカフェの設計を担当したのですが、町内で仕事をしていると同級生や知り合いの人と会う機会も多くて、やっぱり“自分の故郷”があるのはいいですね」

 

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小松さん一家がUターンを決めたのには、子育ての環境を考えたことがありました。3歳の長男、樹永(きはる)くんは、花や虫が大好きでおじいちゃんの家のりんご畑や田んぼ、庭で元気いっぱいに遊ぶ男の子。「子どもの感受性や成長を考えたら、自分が育ったような自然豊かな環境で育てたいなと思いました」(剛之さん)

妻の愛実(まなみ)さんは「東京では集合住宅に住んでいて、子どもが夜泣きすると近所迷惑になるのではと気を使うこともありましたし、私自身上京して10年はいろいろな意味でとってもがんばっていたのでこれからは少し身体の力を抜いて日々を生きたいな」と移住には前向きでした。群馬県高崎市出身で剛之さんとは大学の同級生。ともに建築を学び、都内のデザイン事務所でインテリアコーディネーターとして働いてきました。

移住しても、子どもを育てながら仕事をしたいと考えていたものの、ご主人の設計の仕事を手伝うというよりも自分でやりたいことを探したいと考えていた愛実さん。「息子を長野市の保育園に入れるために、新規事業の準備中と伝えたら、具体的に証明できるような書類が必要と言われ急かされたことが、結果的に背中を押されることになり、きちんと形にできました」

植物が好きなことを生かして長野に来てから始めた染物と、インテリアコーディネーターで培ったセンスを生かし「Conoiro Toiro(コノイロ トイロ)※1」という草木染めブランドのお店を立ち上げました。

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夫のサポートではなく、私は私で仕事をする、という自立した妻のあり方は群馬県民気質かもしれない、と笑う愛実さん。

 

愛実さんのSNSには#植物染め#オーガニックコットン#エシカルライフ#自然派育児などのワードが並び、自然豊かな長野で暮らすからこそ、これまでの経験を生かした仕事の仕方にシフトチェンジするというしなやかな働き方が見てとれます。

 

都会で忙しく働いてきたけれど、同じ時間軸を持ち込むのではなく、長野のゆったりとした時間軸で、子育てをしながら自分らしく楽しく仕事もしたいと語る愛実さんの考え方に、共感する女性も多いのではないでしょうか。

 

「縁あってラベンダーショップの方とコラボした商品ができました。これからもっと活動の幅を広げたいし、タッグを組める仲間も増やしていきたいです」(愛実さん)

 

 

 

#気仙沼の写真#

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気仙沼中央公民館の屋上テラスにて Photo by(株)エスエス/走出 直道

 

 

剛之さんも大きな仕事が一段落ついた節目のタイミングでした。使命感を持ってかかわっていた宮城県気仙沼市の「気仙沼中央公民館」が202112月にグランドオープン。

仕事の考え方をあらためて見つめ直したのも、この仕事が大きなポイントになったと語ります。

 

「東日本大震災後、多くの学生が復興ボランティアに動くなか、私は大学院生でしたが自身の就活を優先してしまい、何もできなかったことがずっと心に引っかかっていました。修士論文でも震災以降の建築の在り方をテーマにしているにも関わらず、自分の行動にモヤモヤした気持ちもありました。東北の仕事に携わることで当時に戻れるわけではないですが、復興10年目の節目に少しでも被災地のお手伝いができたことは、自分自身が救われた思いです」

 

気仙沼中央公民館は、震災当時446人が屋上に取り残されました。全員が救出されるまでの切迫した様子は本やドラマにもなって広く知られるところです。

 

中央公民館の工事が災害復旧事業として着手されたのは2018年度のこと。前職でこの設計を担当することになった剛之さんは、土地の嵩上げが一段落して平たんになった被災地に何度も足を運びいろいろなことを想像しながら、その後、可能な限りの時間を注ぎこみました。

 

「模型を囲みながら、利用者さんにどんな使い方ができるか考えてもらうワークショップも開催しました。建築を設計したあと実際に育てていくのは、利用者や施設管理の方々。建物の使い方って当初の想定から変わっていってもよくて、時代が変わっても長く使えるように居心地の良い余白をデザインできていることが大切だと感じます」

 

剛之さんが気仙沼の仕事で忙しくしている最中に、樹永くんが誕生。設計期間中にお子さんが生まれたことに配慮して、施主である気仙沼市の方々や前職の社長が、竣工写真に樹永くんも一緒に並ばせてくれたそうです。

 

建築家は、その家族も一緒にかかわっているのだという考え方は、その後の剛之さんの生き方に大きな影響を及ぼします。

 

「中央公民館の設計に追われ忙しい日々の中で生まれてきた子が、その竣工に立ち会えるという、うれしくて不思議な体験でした。工事期間中は気仙沼がNHK朝ドラ「おかえりモネ」の舞台にもなっていて盛り上がっていたのも相まって、竣工やこけら落としは華々しいものでした。被災地の方々が自分の居場所を見つけていく姿に勇気をもらい、私も独立へ背中を押してもらいました」(剛之さん)

 

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「自分が設計した建物の近くにいられる場所に住みたい」。

 

公民館のグランドオープンの翌年である2022年、長野への移住を決めると同時に、一級建築士事務所「Ko place architects(コプレイスアーキテクツ)※2」を設立しました。

 

place(プレイス)」には居心地の良い場所づくりをする集団でありたいとの思いが込められ、剛之さんの気概が感じられます。

 

「これからの設計事務所は単に仕事を待っているのではなくて、一人のプレイヤーとして地域に足を運んで自ら問題解決するような姿勢が求められていると思います。今後少しずつ長野の仕事も割合を増やしたいです。常に飯綱町内で何かしらのプロジェクトが動いているくらいが、自分にとって健康的だと思っています」

 

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剛之さんは、一度広い世界を知ってから故郷に帰ってきたことで、視野が広くなったと感じるそうです。

 

以前は山の中の小さな町に押し込められているような感覚もありましたが、「働く場所も住む場所も、自分で選択することができるのは、育ててくれた周りの人に感謝しないといけないですね」と、元気に遊びまわる樹永くんの姿を眺めながら微笑んでいました。

 

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黒川地区の自宅近くでご両親と一緒に記念撮影

 

※1 Instagram @conoiro_toiro

※2 HP http://koplace.jp/

 

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