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ホーム読む移住者インタビュー北條光彦さん・生田明子さん 「別荘のつもりが本格移住。経営する会社の支社までつくってしまいました」
北條光彦さん・生田明子さん 「別荘のつもりが本格移住。経営する会社の支社までつくってしまいました」

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北條さんご夫妻は、光彦さん(52)の養父母の土地や家などを相続したことを機に、20212月、静岡県浜松市から飯綱町坂口地区に移住しました。

「飯綱では夏でもエアコンいらずなのがいいですね。最高気温41.1度という日本の最高気温を記録した浜松に住んでいたことが信じられないです」。移住してから1年半ほどは、亡くなった養父母が暮らしていた家に住んでいましたが、昨年秋に農機具小屋があった場所に一戸建てを新築しました。今では、遠くに出張しても飯綱に戻ると「帰ってきたな」と感じるようになったそうです。

 

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旧宅の片づけで出てきた祖父母の若かりし日の写真。戦前に東京銀座で撮影されたもの。この祖父が坂口の生まれで養父の父親と兄弟。

「養父は実父の従兄にあたる人です。後継ぎのお子さんが若くして亡くなり、相続する人がいなくなってしまったので養子になりました。僕の生家は埼玉県です。石川県の大学院に通っていたときに、飯綱がちょうど中間地点ということもあり、泊まったり、遊びに来ていたりしていたのが縁で養子縁組をしました」

養父母からは「葬式だけ出してくれればいい」ということで、気軽に養子になった光彦さんでした。ところが2019年に養父が亡くなり、残された養母の介護に奔走するも、一年も経たずして、その養母も亡くなってしまいました。土地や家の相続手続きが終わったと思ったらまた手続きとなり、そのうえ田畑、山林、墓地、家屋の保全と遺品の片づけという大きな仕事が降ってきました。

 

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妻の明子さん(55)は鳥取県生まれの埼玉県所沢市、北海道千歳市、岐阜県各務原市、浜松育ち。大手楽器メーカーのデジタルマーケティングやウェブサイト運営担当を経て、ウェブサイトを活用して企業を支援する合同会社あやとりの経営者として多方面で活躍されています(普段は旧姓の生田を名乗っています)。

「初めは移住するつもりはなく別荘のように使おうかと考えていたんです」と明子さん。

そこに同じ坂口地区に住む地域おこし協力隊出身の眞鍋知子さんから、飼っているポニーの放牧場として土地を借りたいと連絡がきたのが転機となりました。

「養父の初盆に帰省して、眞鍋さんとお会いしました。そのとき養母は施設にいたので勝手に貸せないから待ってくださいとお返事したのですが、私も馬が好きだから話が弾みました」。その後、Facebookで眞鍋さんが「いいいいいいづなマガジン」(https://iizuna.jp/magazine/)の記事を紹介してくれたのを読み始め、「ここなら暮らせそうだなあ!」と考えはじめたのだそうです。明子さんも馬を2頭所有しています。現在は富山県の乗馬クラブに預託していて、いつかここで馬とともに暮らせる日を夢見ています。どういうわけか坂口地区は馬と縁があり、石窯ピザCAFÉブレーメンにも看板馬のミニチュアホースが2頭いるおもしろい地区です。

 

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ご夫妻が本格的に移住に向けて動きはじめたところ、オープンしたばかりのいいづなコネクトWEST(旧牟礼西小学校)を見学する機会がありました。「ちょうどそのころ、環境に配慮した暮らしや持続可能な地域づくりに触れる機会があったのですが、いいづなコネクトの意味や価値に重なるところもあって、移住の決意が確固たるものになりました。社長である自分が移住するため、合同会社あやとりの長野支社をつくり、いいコネWESTにテナントとして入ることにしたんです」。まだ工事中だったこともあり、壁の色をご自身のテーマカラーである緑色にしてもらえることができてよかったと明子さん。移住と長野支社のことを浜松本社のスタッフに話すと、「鳩が豆鉄砲をくらったような顔をされた」そうです。しかし、コロナ禍でリモートワークやオンライン会議が定番になってきたことも、移住という選択を後押ししました。続く2022年には、農地活用や人材育成、コミュニティ運営を手掛ける株式会社みみずやの立ち上げにも関わることとなり、専務取締役に就任。「WESTで出会った思いのある若者たちに共感したんです。社会を支えていく人材の育成に貢献していきたいと思っています。」と意気込みます。

 

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緑と赤の仲良し夫婦

インタビュー中も、ケンカしながらも仲睦まじい北條・生田夫妻。おふたりの出会いは、東海道新幹線のなかでした。仕事でたびたび新幹線を利用していた明子さん。ある日の朝、棚に荷物を持ち上げようとしていたところ、隣の席に座っていた光彦さんが助けてくれたそうです。そして帰りの新幹線でも、同じ車両に光彦さんが乗ってきたため、『今朝はありがとうございました』と声をかけたことがきっかけで話すようになり意気投合。そして半年ほどで結婚に至ったのだとか。

「今でも仕事で新幹線はよく使うのですが、坂口から長野駅までは車で25分あれば着くし、長野駅から東京駅までは約1時間半なので、実は東京への交通の便は、浜松にいたころとたいして変わらず、日帰りで出張できるんですよ」(光彦さん)。長野駅近くの駐車場に車を停める時間も考えて、坂口の家を出発するのは新幹線発車時刻の50分前。浜松の家は駅から4㎞の場所でしたが、道が混むので40分前には家を出ていたそう。新幹線の乗車時間も大して変わりありません。

「埼玉から都内の私立高校に通っていたころは毎日満員電車で、大人になってもこれが続くのは無理だと感じていました。そのころから首都圏以外で暮らすのが目標でした」(光彦さん)

 

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解体した農機具小屋の梁や見つかった石臼は庭のアプローチや花壇に再利用

 

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昭和50年頃に撮影された農機具小屋の写真。新居はこれを取り壊して新築。

「小さいころから緑色が好きで、緑色じゃないと居心地が悪いの。野中の一軒家にあこがれていたので、周りが全部森と畑で緑色に囲まれていて、とても快適!」と緑色が大好きで髪の色もグリーンな明子さん。新しい家の壁紙は緑色を基調としたウイリアム・モリスです。「家づくりは、自分たちの暮らしやすさを追求しました。旧宅が寒すぎたので、トリプルサッシを入れ、ドイツ並みの断熱にこだわりました」(明子さん)。薪ストーブのある、スコットランドのコテージのような素敵な家の庭にはさまざまなハーブが植えられています。山小屋風の三角屋根は光彦さんのこだわりです。登山が趣味で、休みがとれると穂高岳や槍ヶ岳、白馬岳など北アルプス、近場の飯縄山、黒姫山、斑尾山などに出かけています。「飯綱町は登山にも出かけやすいのがいいですね」(光彦さん)

 

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浜松で台風による停電を4日も経験したことから、非常時に備えようと作った装置。発電機をつなぐと母屋に非常用電源を供給できる。

実は明子さんは、2022年の3月に旧宅屋根からの落雪で、左大腿骨複雑骨折という大けがを負いました。この年の飯綱町は50年に一度ともいわれる大雪に見舞われ、当時住んでいた旧宅も屋根がミシミシと音を立てていました。例年であれば飯綱町では、屋根の雪下ろしが必要になるほど降雪しません。しかしこの年に限っては、積雪で軒が折れたり屋根がつぶれたりしている建物もありました。その日は、家の裏手にある給湯器の確認作業にご夫妻で行ったタイミングで、屋根から張り出した雪庇が落下、明子さんが生き埋めになってしまったそうです。光彦さんが近所に救助を求め救急車が来るまでのあいだ、明子さんは必死で自ら雪をかきだし、顔の周りの雪はよけることができましたが、下半身にのしかかった氷の塊はびくともしませんでした。「痛みから、左の大腿が折れていると分かりました。長靴の中で指先が動くことを確認したり、自分で脈を測ったり、救助してくれた救急隊員にも、どういう体勢だと痛みが少ないかなど細かく伝えました」(明子さん)                                                       

大きな災難に見舞われた明子さんですが、降りかかった難題にも前向きでした。手術を終え個室に移るなり、オンライン会議で仕事に復帰します。「けがした脚は痛いけれど頭は元気でしたから。せっかく時間ができたので、入院中にオンライン英会話も受講しましたし、長野県みらい基金の助成金獲得に向けて企画書を書きました。飯綱病院はとても景色がよくて過ごしやすかったです。ただ、フリーWiFiがなかったので、WiFi機器は持ち込みましたよ」

懸命なリハビリで、退院すると車いす、両脇松葉づえ、1本ステッキと回復し、現在は杖なしで歩けるようになった明子さん。この春には裏山に登って山菜取りもしました。つらい経験も無駄にせず、「WESTはバリアフリーに改修されていたので、スムーズに社会復帰できました。車いすの方にとっていかにバリアフリーが大切かを学ぶことができました」と、むしろチャンスに変えてしまうバイタリティはさすがです。

 

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周囲の景色に溶け込むこだわりが詰まったご自宅。夏は庭先にホタルが舞っているのを窓から眺めることができるとか。

地域の道普請などの活動には、「人手はあった方がいいでしょ」と、二人そろって参加しています。「田舎だから近所づきあいをしなきゃいけないということではなくて、どこに住んでも助け合いは当然のこと」と認識しているといいます。

現在は本業だけでなく、入院中に企画申請し獲得できた助成金(長野県休眠預金イノベーション事業)を元に、みみずや、あやとりのメンバーに加え、共感する地域の仲間とともに「みみずやインキュベーションセンター」をつくり、さまざまな地域づくり活動をおこなっています。

「ここに来たのは“縁”だよね」と声をそろえるおふたり。移住を推進する町の取り組み、先輩移住者の努力、移住者を迎え入れる地域の人々の姿勢。そういったことにさまざまな偶然が重なって今につながったと感謝しているといいます。「おせっかいは助け合いの原点。周りの人の想いを理解できる人にこそ、移住をおすすめしたいですね」(明子さん)。

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