人間の歴史が始まった時にはすでにりんごが存在していました。りんごが人間の生活と深く関わってきたことは、世界中に存在するりんごにまつわる諺や俗語の多さからも分かります。
パキスタン
「赤いリンゴと敵の友情を信じるな」。
これはパキスタンの諺である。リンゴは色が赤いからと言って美味しいとは限らない。外観は真赤なリンゴでもひょっとしたら中味はくさっているかもしれない。敵が友情を示すときも要注意だ。それは大きなワナかもしれないというわけで、見た目だけで人や物事を判断してはいけません、という意味である。似たような諺がエストニアにもあってな、「綺麗なリンゴ、中に虫」といわれている。これは日本の「綺麗な薔薇には棘がある」と同じで、外見の美しい人は隠れた所に人を傷つける物を持っている事があるから、外観だけで人を判断しないように気をつけましょうという意味ですな。同じような意味でブルガリアには「赤いリンゴは虫食いリンゴ」という諺がある。
トルコ
「赤きリンゴに投石する者、跡を絶たず」。
これはトルコの諺である。青いリンゴには何もしないのに、人々は赤いリンゴに石を投げる。それはリンゴを落として食べるため。赤く熟しているから石を投げられるのであって、周囲と同じように青ければ石は投げられないだろう、そのことから転じて「才能や手腕があって人より秀でた人はとかく憎まれやすい」という意味で使われている。日本の「出る杭は打たれる」という諺に似ているようですな。
ロシア
「こういうリンゴの木で三ついうリンゴ」。
ロシアのタタールにはこんな諺がある。日本にも「この親にしてこの子あり」という諺があるが同じような意味である。親が優れていれば、子供も立派に育つという訳だ。「子を見れば親がわかる」とも言われておるが、子は親の素質を受け継ぎ、親の進んだ道を歩むものである。
フィンランド
「リンゴの実はリンゴの木から遠くへは落ちない」
同じような諺に「リンゴの実はリンゴの木から遠くへは落ちない」というフィンランドの諺もある。これは日本の「蛙の子は蛙」と同じで、子供たちは長所も短所も多くの点で親に似ているという意味である。血筋は争えないもので、親よりもとび抜けて上出来の子供はそんなに多くないというわけだ。リトアニアでは「リンゴの実はリンゴの木から遠くへは転がらない」と言っておる。
ラトヴィア
「リンゴの木は根に虫がいると萎える」
「リンゴの木は根に虫がいると萎える」これはラトヴィアの諺である。一つの家族の中で夫婦というのはリンゴの木でいえば根のようなものだ。一方、父母の温かい愛情で育つ子供達はリンゴの実と言えるかもしれない。養分を吸い上げる根はリンゴの木にとっても大切な部分で、ここに虫がついて根を痛めるようであれば木は枯れてしまう。同じように夫婦の間にわだかまり都あったりすると家庭が崩壊してしまうかもしれない。何事にも早期発見が大切だ。わだかまりができそうな時は一刻も早く退治した方がよい、まっ、そういうわけですな。
ナイジェリア
「良いリンゴはよく糞の上に落ちる」
「良いリンゴはよく糞の上に落ちる」赤く熟してうまそうなリンゴでも、時として糞の上に落ちてしまうことだってあるものだ。いくらうまそうなリンゴでも糞がついてしまっては誰も食べてくれない、同じように、たとえ命を落とすようなことがあっても、その死が無駄になっては残念である。このことから、早死に対する無念の気持ちを表すときに使われておるようだ、熟したリンゴ種、早く落ちるように、いい人ほど早く死んでしまうものだ。これはナイジェリアの諺で、お悔やみの言葉である。