紀元前 | 原産地 温帯性果物であるりんごには、二つの原産地がある。西洋りんごはコーカサス地方、和りんごは中国の天山山脈とされている。ルーツとしてのリンゴ。 |
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色と形 りんごは遠くに転がるために丸く、鳥や獣の食欲を誘うために赤い。球状の全体性。地球、大地のイメージ。カタチとしてのリンゴ。 |
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旧石器時代 人類は、酸味の強い小粒の野生りんごを発見。食べられる果物としてのリンゴ |
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新石器時代 人類は、野生りんごの種を蒔く。栽培の始まりとしてのリンゴ |
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アダムとイヴ 旧訳聖書、創世記。エデンの園の禁断の果実を食べたヒトは楽園を追放され、原罪を追った。禁断と誘惑、知恵と生命の象徴としてのリンゴ。 |
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ソドムとゴモラ 旧訳聖書。神の怒りに触れ、焼きはらわれた町。失望と堕落の象徴としてのリンゴ |
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古代エジプト ナイル川デルタ地帯でりんごが栽培され、ラムセス三世は毎日800籠をラーの神殿に捧げた。神々の果実としてのリンゴ |
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パリスの審判 ギリシャ神話。黄金のりんごによって美女を選ぼうとするが、トロイ戦争をひき起こす。美と愛の象徴、そして不和のリンゴ |
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ヘラクレス ギリシャ神話。天空を支える巨神アトラスを欺き、英雄が手にした不老不死の黄金のリンゴ |
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ギリシャ時代 植物学の父テオプラストスは野生種と栽培種を分け、りんご栽培に接木法を用いた。接木の始まりとしてのリンゴ |
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アレキサンダー大王 ペルシャ遠征で大きくならないりんごの木を持ち帰る。後にパラダイスと呼ばれるワイ性台木の先祖としてのリンゴ |
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西暦0年 | ローマ帝国 プリニウスが『博物誌』にりんごの29品種名を書く。品種の始まりとしてのリンゴ |
西暦100年 | 千夜一夜物語 アフマッド王子は魔法のリンゴで病気の姫を治す。健康と蘇生の象徴としてのリンゴ |
西暦700年 | 林檎酒 西ローマ帝国チャールズ大帝の食料自給政策の結果生まれたシードル。政治的なリンゴ |
西暦900年 | 和リンゴ 朱雀天皇の頃、源順が『和名類聚抄』に加良奈志(和リンゴ)を渡来植物として紹介。日本海を渡ったリンゴ |
西暦1000年 | 白雪姫 グリム童話。毒入りりんごによる死と蘇生、娘が女に成長するための命の器。再生への母胎としてのリンゴ |
西暦1273年 | 春日大社「林檎の庭」 春日大社の記録(『中臣祐賢記』)に「林檎の庭」の記述。高倉天皇が植えたと伝えられる春日大社のリンゴは、その結実の多少により、作物の豊凶を占ったと言われる。現存する木は、昭和32年に長野県農業試験場で育成された苗木を長野県高校校長協会理事会が寄付したもの。高倉天皇お手植えのリンゴ |
西暦1300年 | ウィリアム・テル オーストリアの圧政に苦しむスイスの実話が、シラーの戯曲によって広まる。英雄の反抗性と父子の信頼、愛情の象徴としてのリンゴ |
西暦1400年 | 卵からりんごまで ラテン語圏の言葉。「前菜からデザートまで」という意味。完結、終末を象徴するリンゴ |
西暦1620年 | アメリカ 西洋りんごが移民と共に新天地アメリカ大陸へ。大西洋を渡ったリンゴ |
西暦1665年 | ニュートン 木から落ちるりんごから、万有引力の法則を思いついた。地球に吸い寄せられた天才のリンゴ |
西暦1800年 | 種まきジョニー 牧師ジョン・チャップマンはりんごの種を配ってゴールドラッシュの西部を放浪した。アメリカ全土をりんご園にしようとした、愛すべきリンゴ |
オルコット『若草物語』 屋根裏部屋でりんごをかじりながら本を読みふける知的で快活な少女。密かなあこがれのリンゴ |
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西暦1860年 | 高坂林檎 信濃名物として「高坂林檎」初見(地誌『科野佐々禮石』)。飯綱町高坂地区では昔から和リンゴが栽培され、善光寺でも評判になるほど珍重された。直径4~5センチメートル、重さ50グラム程。飯綱町伝統のリンゴ |
西暦1872年 | 西洋りんご アメリカから西洋りんごの苗木3本が輸入された。太平洋を渡ったリンゴ |
西暦1873年 | 福澤諭吉『小学読本』 りんごは「林檎」である。「林檎」の文字を普及させた。文字としてのリンゴ |
西暦1875年 | 殖産興業政策 接ぎ木によって増やされた苗木を全国に配布。信州りんごのはじまりとしてのリンゴ |
西暦1877年 | 初の結実 青森県弘前の山野治三郎氏宅で直径およそ7センチメートルのりんごが3個実った。日本における西洋りんご種の第1号である。果実としてのリンゴ |
セザンヌ 「馬鹿、りんごが動くか」ヌードとリンゴによる誘惑の一生。愛とエロティシズムの象徴、裸体としてのリンゴ |
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西暦1887年 | 飯綱町で西洋リンゴ初導入 高坂地区の笠井源太夫、長野市浅川伺去から西洋リンゴを導入。栽培は軌道に乗らなかった。飯綱町最初の西洋リンゴ |
西暦1897年 | 島崎藤村『初恋』 まだあげ初めし前髪の林檎のもとに見えしとき…。初恋の味のリンゴ |
西暦1903年 | 飯綱町の西洋リンゴ栽培の先駆け 県職員清水慶造が平出地区で西洋リンゴの栽培に取組み、果樹園を造成。次第に周囲の農家に広まる。現在までつながる飯綱町の西洋リンゴ発祥としてのリンゴ |
西暦1908年 | モンゴメリ『赤毛のアン』 りんごの花の並木道、夏りんご、地下室の冬りんご、アップルパイ。元気で想像力豊かな少女の、大人になっていくリンゴ |
西暦1909年 | 飯綱町果樹栽培のパイオニア 清水慶造の死後、園地を引き継いだ富岡助右衛門。園地を拡張し「見晴園」と名付け、本格的な多角的果樹園を始める。果樹栽培の先進地と目されたリンゴ |
西暦1912年 | りんご村の始まり 倉井地区の高野伝太郎らにより、旧三水村に倭錦の苗木が3、4本植えられる。三水りんごのはじまりとしてのリンゴ |
ニューヨーク 犯罪と正義、貧乏人と億万長者、敗北者と勝利者、愛と不実、絶望と希望、出会いと別れ。混沌がつくりあげたりんごと人間の産地。眠らない大都会ビッグアップル、巨大なリンゴ |
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西暦1931年 | 太平洋無着陸横断飛行 三沢を飛び立ったアメリカ人飛行士ハードンとバングボーン、地元の人々が土産として渡したのは、紅玉と国光。ロマンと冒険を体験した友情のリンゴ |
西暦1946年 | 「並木路子「りんごの唄」 赤いりんごに唇よせて(サトウハチロー作詞)、敗戦直後の荒んだ気持ちに復興への元気を与えた、希望のリンゴ |
西暦1948年 | 映画『凱旋門』 出会い、冷えきった心と身体を温めたカルヴァドス。男と女の出会いのリンゴ |
宮沢賢治 あやしい苹果の匂、巨きな水素のりんご。童話の中の故郷としてのリンゴ |
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マグリット 『これはりんごではない』というりんごの絵。シュールなリンゴ |
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谷川俊太郎『りんごのある風景』 りんごに固執する詩人のパロディーとしてのリンゴ |
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寺山修司『花粉航海』 林檎の木ゆさぶりやまず逢ひたきとき。激しい恋心を詠んだ思春期のリンゴ |
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西暦1960年 | 大島渚『青春残酷物語』 戦後民主主義への反発と挫折。性と暴力で自己主張し自壊する、青春の青リンゴ |
西暦1963年 | ビートルズ 「アップル、それがいいよ。ジューシーで、美味しく、新鮮、噛みごたえがあって、爽やか、健康的でポジティブな言葉だ」若者たちの、自由と平和のシンボルとしてのリンゴ |
西暦1968年 | 日本一のりんご村 旧三水村のりんご生産量が全国1%の産出量を達成。100個に1個のリンゴ |
クリスティー『ハロウィーン・パーティー』 万聖節前夜祭ハロウィンの別名は「りんごの日」。少女たちはりんごで恋を占う。ミステリアスなリンゴ |
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西暦1970年 | 小さな恋のメロディ 永遠の愛を誓う子どもたちのリンゴ |
西暦1971年 | 萩原朔美『TIME』 ゆっくりと腐っていくりんごはまるで人の生涯を見ているよう。りんごの恐るべき象徴性を示したリンゴ |
西暦1973年 | 手塚治虫『ユフラテの樹』 進化を促すりんごを食べて超能力を得た3人の高校生は、世界征服を計画する。文明と野望、死と蘇生の象徴としてのリンゴ |
西暦1977年 | アップル・コンピューター アメリカンドリームの可能性を証明した、かじりかけの6色リンゴ |
西暦1982年 | 北嶋廣敏『林檎学大全』 りんごの神話学、現象学、社会学。リンゴロジーの集大成。文学としてのリンゴ |
西暦1983年 | 山田太一『ふぞろいの林檎たち』 まだ未完成の大人たちの、共生するリンゴ |
西暦1987年 | 最後の高坂林檎 絶滅と復活 町内で唯一残っていた高坂林檎の老木2本が枯れ、地域伝統の和リンゴは絶滅。残念に思った中宿地区の米澤稔秋が、根分けにより穂木を譲り受け自分の果樹園で育成を開始。やがて10年の時を経て、見事に実を結ぶようになる。次世代に継ぐリンゴ |
西暦1997年 | 『ラブ ジェネレーション』 真実の愛をつらぬいた、ガラスのリンゴ |
三水アップルミュージアム(現在のいいづなアップルミュージアム)オープン 日本一のりんご村(旧三水村)が、とことんりんごにこだわった人とりんごの交流施設。林檎であり続けるリンゴと、りんごを越えたリンゴ |
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西暦2005年 | 高坂林檎文化財指定 米澤稔秋所有の高坂林檎が旧牟礼村の天然記念物に指定。飯綱町の天然記念物として引き継がれる。文化財としてのリンゴ |